20km走って征服感覚
今日は広島市内で少し北方面に20.7km走りました。経路は図の通り、西区庚午から高速3号線に沿って東へ。吉島から北に向かい、平和公園、相生橋、上野学園ホール(郵便貯金会館)の東、大芝水門、そこから折り返し、中広町、己斐本町、という感じです。今日も給水はコンビニで2カ所。全体で20.7km, 2hr16minというところです。
自分の足で走った範囲は、おおげさですけど、「俺のナワバリになった」という感覚に近い感じがします。バスなり鉄道で移動するとそんな感じは少しもないけど、自分の足で走った範囲だと、足をつけたぞという実感が強いせいでしょうか。(犬が散歩の範囲にオシッコをして勢力範囲だと示す感じにも近い)
スケールは違うけど昔のモンゴル帝国が東ヨーロッパから朝鮮半島まで勢力を広げてた時代、馬に乗るしか移動手段はなかっただろうけど、チンギスカンとかその部下は、広い領土の中をある程度自分の馬で移動して支配したのかなあ、とばくぜんとそんな事を想像しました。ろくな通信方法もなかった13世紀頃、広大な国家を支配する、というのは、そこまでの範囲を自分の信頼する部下が仕切って税をとりたてている、という事で支配とみなすんでしょうかね。そのへん世界史を知らないのでわからない事だらけです。
(2016.9.15 追記。モンゴル帝国での通信方法についての解説文を発見しました。主に駅伝の仕組みで大切な情報を伝えたようです。 モンゴル帝国Ⅲ バトゥの西征と騎馬軍団 中盤の「■チンギスハーンの遺産」の部分にあります。 「... 幹線道路沿いに宿駅を置き、付近の住民に馬や食料を供給させ、その世話をさせた。この情報ネットワークにより、モンゴル帝国の急使は安全かつ迅速に移動することができた。」とのこと。)
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