「水と安全はタダ」の元ネタ
昔から聞く決め台詞に「日本人は水と安全はタダだと思っているから、けしからん」という意見がありまして、このセリフはもう僕の人生で1万回は聞いたような気がします。長年繰り返されて耳にタコができたセリフですから、今の日本在住の人の9割は水も有料。安全の確保も有料と知ってます。
それでもこのセリフを今でも耳にするのは「無知な一般大衆の日本人は水と安全はタダだと思っているだろうが、知識派で国際派の俺様だけは、どちらも有料だと知っているぞ」と解釈する人がいるからですかね。水の貴重さを人に伝えるには、いったん日本人である自分を否定してエセ日本人または西洋人という仮面をかぶったほうが説教をたれるのに都合がよいのかもしれません。さながら宣教師になった気分でしょう。(ちなみに何度も断水を経験している香川県民は水の貴重さがとてもよくわかってます)
でもって、水と安全はタダと...というセリフの初出が、1971年当時よく売れた本『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)でして、wikipedia イザヤ・ベンダサン を2015年の今見ると「現在では、ベンダサンの正体は、『日本人とユダヤ人』の出版元であった山本書店の店主でベンダサン名義の作品の日本語訳者と称してきた山本七平であることは間違いがないとされる。」となっています。つまりベンダサンは架空の人物です。
単に山本七平氏が自分の考えを主張した本なのに、ユダヤ人の書いた本という形をとって、無知な日本人に教えてあげるという啓蒙本みたいな内容として広がったのは1970年代の時代の舶来幻想みたいなムードがあるのかもしれません。amazonでの「日本人とユダヤ人 」のレビューには、「浅見定雄、『にせユダヤ人と日本人』と合わせて読むと面白い」とのコメントもありました。
他には、「日本人は水と安全はタダだと思っている」のセリフだけが有名なので、その勢いを借りて、何か強盗とかテロの事件が起きたあとに「水と安全はタダだと...」の言葉を使って報道する新聞雑誌というのもみかけます。これ単純でして、何か事件があったあとなら言い放題ですからね。「もっと警備に金かけておけよ」と泥棒が入ったあと批判するのはジャンケンの後出しみたいなもので、こういう意見は泥棒が入る前に「どこまで警備に金かけるか」を議論しないと意味ないんですよね。
ということで21世紀の今、今更もう「「日本人は水と安全はタダだと思って...」のセリフは使わないほうがいいと思うんです。自分の主張を伝えるのも外国人のフリをしたり国際派の俺様が啓蒙してやろうというポーズをとらなくてもいいんですよ。普通に日本人として意見を出せばいいし日本が世界に示してあげてもいいじゃないですか。と感じる今日の僕でした。画像は本文に関係ないけど、うどんです。
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